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日常・雑感 Archive
砕かれる訓練
- 2011-11-13 (Sun)
- 日常・雑感
じぶんが神様にならないように、神様は私を砕かれる。
納得なんて到底できないし不満も爆発寸前・・・でも降参するしかなくって、従うしかないから従う。
そんな投げやりな従い方しかできなかったとしても、神様は従う者に必ず報いを与えられる。
繰り返し繰り返し、砕かれるほどに人は謙遜になり、清められ、神様の前にあって成長し、
その価値は増し加えられていく・・・
んだろうと、ようやく思えた。感謝。
***
わたしは、高く聖なる所に住み、心砕かれて、へりくだった人とともに住む。
へりくだった人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かすためである。
[イザヤ書 57章15節]
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それが面倒なんだってば。
- 2011-11-10 (Thu)
- 日常・雑感
「サーバーの引越しとか方向性とか生き方とか考えてるうちに、季節だけ変わっちゃって」
なんてことはよくある話で。
それはさておき。
全く考えていなかった自宅のインターネット回線を3年ぶりに乗り換えることになった。
「面倒なことはヤダ。今で満足してるからいい」と断ったのに、
「同じ光だから大掛かりな工事はしないし、手続きもとってもカンタン!料金もおトク!」というセールストークに負けてしまった。
そして分厚い封筒が送られてきた。
封を切らずに2日間放置していたら「中味見てくれた?」っていう催促の電話が携帯にまでかかってきた。
だからぁ。
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完・幸せの定義
- 2011-10-01 (Sat)
- 日常・雑感
誰かの思いが叶う時は、誰かの思いが砕かれる時でもある。
でも「諦める」んじゃなくて、そういう現実を受け入れて、神様に「委ねる」。そして、
「叶っても叶わなくても、今日がじぶんの人生最高の日」という思いで毎日を生きられたら、
きっと幸せなんだろう。
***
人の心には多くの計画がある。しかし主のはかりごとだけが成る。
[箴言 19章21節]
しかし私にとっては、神の近くにいることが、しあわせなのです。
[詩篇 73章28節]
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涙雨
- 2011-09-20 (Tue)
- 日常・雑感
たとえば前を向く勇気もなく、上を見上げる元気もなく、人知れずうつむき涙をこぼす日があっても。
***
私の目は絶えず涙を流してやむことなく、主が天から見おろして顧みてくださるまで続く。
[哀歌 3章49節~50節]
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だから、ふたり。
- 2011-09-13 (Tue)
- 日常・雑感
ふたり、だから。
***
ふたりはひとりよりもまさっている。ふたりが労苦すれば、良い報いがあるからだ。
どちらかが倒れるとき、ひとりがその仲間を起こす。
倒れても起こす者のいないひとりぼっちの人はかわいそうだ。
また、ふたりがいっしょに寝ると暖かいが、ひとりでは、どうして暖かくなろう。
もしひとりなら、打ち負かされても、ふたりなら立ち向かえる。三つ撚りの糸は簡単には切れない。
[伝道者の書 4章9節~12節]
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続・幸せの定義
- 2011-08-19 (Fri)
- 日常・雑感
じぶんのことを「幸せ」だとは感じないことは「不幸」なんだろうか。
じぶんのことを「不幸」だとは感じないことが「幸せ」なんだろうか。
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「たいちゃん」という名の猫
- 2011-08-13 (Sat)
- 日常・雑感
カメラ散歩に出掛けようと表に出たら、お向かいに住むトラ猫の「たいちゃん」と目が合う。
門外不出の空と違って、お外を闊歩する自由猫。ゆえに空の嫉妬の対象。
現在推定10歳の男の子、元は捨て猫・双子にゃーご。数年前、ウチの居間の網戸を開けて二匹揃って侵入していたときは、そりゃあ驚きました。
相方の「おかちゃん」は、先に天に昇って行きました。
ところでその由来が一体何なのか、最初は気になって仕方なかった猫たちの名前・・・未だ聞けず謎のまま。
見つめるだけで、どこまでも寄って来てついて来る、猫にあるまじき人懐っこさ。
おかちゃんの分も、長生きしてね。
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花火
- 2011-08-06 (Sat)
- 日常・雑感
最近「いのち」について、ふと、考えることがある。
9年前ある人が亡くなった時に書いた「web上公開日記」。
(当時ウェブログはまだ日本に浸透していなかった)
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ヒトのいのちというのはわからない。
明日の朝、生きて目が覚めるという保証は何処にも無い。いのちあるものは、必ず死を迎える。
しかし信仰をもつ者の上に神の愛は注がれ、その魂は導かれ、残された家族には慰めが与えられる。
『死を通してでなければ天の御国に行けないとすれば、死もまた美しい出来事と言わなければなりません』 とは、マザーテレサ。
私はと言うとココロの準備どころか、部屋の片付けやパソコンの中味を処分してからでないと絶対困るとか考えてしまう。
焦点を合わせられないのは、やはりまだこわいからと思う。
誰かのココロに感動を与え、その残像を果てない空に映し、そしてキレイに散っていく・・・
告別式の翌日に観た花火に、理想の人生を重ねた。
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***
イエスは言われた。
「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。
[ヨハネの福音書 11章25節]
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欲しいものを手に入れる方法
- 2011-08-01 (Mon)
- 日常・雑感
こんな目で見つめられたり、
こんな風にせがまれたりしたら、
もう何でもしてあげちゃうって、猫派でも思う。
***
だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。
そうすれば、そのとおりになります。
[マルコの福音書11章24節]
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