Home > Archives > 2011-08-06

2011-08-06

花火

壁に咲く花火
最近「いのち」について、ふと、考えることがある。

9年前ある人が亡くなった時に書いた「web上公開日記」。
(当時ウェブログはまだ日本に浸透していなかった)
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
ヒトのいのちというのはわからない。
明日の朝、生きて目が覚めるという保証は何処にも無い。いのちあるものは、必ず死を迎える。
しかし信仰をもつ者の上に神の愛は注がれ、その魂は導かれ、残された家族には慰めが与えられる。
『死を通してでなければ天の御国に行けないとすれば、死もまた美しい出来事と言わなければなりません』 とは、マザーテレサ。
私はと言うとココロの準備どころか、部屋の片付けやパソコンの中味を処分してからでないと絶対困るとか考えてしまう。
焦点を合わせられないのは、やはりまだこわいからと思う。

誰かのココロに感動を与え、その残像を果てない空に映し、そしてキレイに散っていく・・・
告別式の翌日に観た花火に、理想の人生を重ねた。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

***

イエスは言われた。
「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。
[ヨハネの福音書 11章25節]

Home > Archives > 2011-08-06

Search
Feeds
Meta

Return to page top