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聖書 Archive

時がある。

急に涼しくなった。
いろんなことがあったせいか、それとも残暑が厳しく長かったせいか、
夏のはじまりがずいぶん前のことのように感じて、記憶もぼんやりと遠い。

***

天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。

生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。
植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。
殺すのに時があり、いやすのに時がある。
くずすのに時があり、建てるのに時がある。
泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。
嘆くのに時があり、踊るのに時がある。
石を投げ捨てるのに時があり、石を集めるのに時がある。
抱擁するのに時があり、抱擁をやめるのに時がある。
捜すのに時があり、失うのに時がある。
保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。
引き裂くのに時があり、縫い合わせるのに時がある。
黙っているのに時があり、話をするのに時がある。
愛するのに時があり、憎むのに時がある。
戦うのに時があり、和睦するのに時がある。

働く者は労苦して何の益を得よう。私は神が人の子らに与えて労苦させる仕事を見た。
神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。
しかし、人は、神が行なわれるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。

 

(伝道者の書3章1節~11節)

himawari
[Nikon D80]

2007年夏、終わり。

愛ことば~神さまからのラブレター~

たった2色の色鉛筆で彩られた、めっちゃかわいい『みことば絵本』。

原文の掲載はありません。引用箇所が巻末に載っているだけなので、
『コレどれ?!これドコ?!』といつになくキラキラした目で聖書をめくった私。
聖書のことばがこんな風にココロに響いてきたら、神さまのとりこです。

愛ことば
愛ことば
みなみ ななみ, noco

ゼパニヤ書3章17節
マタイの福音書5章3節
コリント人への手紙第一13章
マタイの福音書7章12節・ローマ人への手紙12章17節
ヘブル書13章5節・エレミヤ書31章3節
ペテロの手紙第一4章8節
愛ことば愛ことば愛ことば

カメラに撮ったら、ますますかわいく見えてきました。私だけ?

「ショーシャンクの空に/The Shawshank Redemption」

姉がDVDを借りていたので便乗して久しぶりに観た。
自分のせいとか誰かのためとか、過去に何があって今ある状況がどうとか、もうそういうことは一切関係ない、ただ心に信じた希望をもち続けた者だけが勝利者となり手にすることのできる未来がある…
こういうわかりやすいストレートな感動はいつまでも色褪せない。

ところで原題の「Redemption」とは何ぞや…?と気になったので調べてみた。

The Shawshank Redemption
・義務、約束の履行
・救済
・キリストの犠牲による罪のあがない、解放
・抵当などの償還、払い戻し

先に述べた主題も聖書的ではあるし、聖書がキーポイントだということも明らかだけど、正直皮肉っているのかなとも思っていた。
でも「Redemption」こそがこの映画のテーマであるなら…またかなりストレートな。

「救いは、この中に」

聖書には愛あふれたりその愛は

「あの方が私に口づけしてくださったらよいのに。」(1:1)

という軽く衝撃的な書き出しで始まる旧約聖書の愛の詩「雅歌(がか)」。
今日のタイトルはサラダ記念日からぱくってみましたが、なんとも麗しいというか艶っぽい表現が8章の間にあふれています。受け止め方もいろいろあるようですが、雅歌をすきなのは絶対に女性のほうが男性よりも多いかと。

「揺り起こしたり、かき立てたりしないでください。愛が目ざめたいと思うときまでは。」(2:7)

たぶんこういう表現に、私も含めてたぶん女性は弱いのです。
同じ聖句が雅歌には3度出てきます。
繰り返し語られているということは、大事だということ、なんだろなぁ。

そしてこれも、雅歌の一節。
「私はシャロンのサフラン、谷のゆりの花。」(2:1)

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